日本人は海が嫌い?

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 海が好きですとおっしゃる方はとてもたくさんいらっしゃいます。

 どういう意味でお好きなのか、人それぞれで違うでしょうが、海の何が好きなのかなと思うことがよくあります。

 なぜかというと、私自身が「海が好き」とはなかなか言えないからです。

 船に乗る職業を選んだのは、船に乗りたかったからですが、「海が好き」だったのかどうかというと確信を持てません。その船も楽しくて仕方ない勤務だったかというと、よくあんな勤務に耐えてきたなと思うほど厳しいものでした。出港の前の晩などは、明日からの航海に胸を躍らせているなどということはほとんどなく、オカの快適な生活への未練がたっぷりでした 

 ヨットは好きですが、これも常に楽しくて仕方ないかというと、実はきついなと思うことの方が多いのです。夏は暑いし、冬は寒いし、時化れば気持ち悪くなるし、もっと時化ると恐ろしいし、本当に快適でご機嫌に乗っていた時などほとんどなかったように思います。

 心から「海が好き」と言えると本当にいいなとよく思ったものでした。

 ジョセフ・コンラッドが書いた“The Mirror of the Sea”という随筆集があります。

 コンラッドが船に乗っていたころの仲間たちや船と海への想いが綴られた素晴らしい随筆集です。翻訳も出版されていますので、是非皆様にも読んで頂きたいのですが、この随筆においてコンラッドは海の厳しさを延々と語っています。しかし、それがかえってコンラッドの海と船に対する限りない懐かしさ、愛情を表現しているように思えます。彼にとっても、海はただ美しく快適なものではなく、厳しく畏れるべきものだったのでしょう。

 いろいろな方と海の話をするのですが、東京湾フェリーや瀬戸内海のフェリーなどに乗った経験がある人は多いのですが、一晩を超す日数の航海を経験したことのある人はびっくりするくらい少数です。つまり洋上で夜を過ごしたことのある人はとても少ないということです。

 それではヨットやサーフィンで海に親しんでいる人がどれほどいるかというと、ゴルフに比べれば絶滅危惧種に近いほど少数です。

 商社の営業部長だったころ、各部長以上が参加するゴルフが二か月に一度程度行われていました。部長に着任してすぐ、隣の部の部長から、「クラブは○○のものでなけりゃだめですよ。」と言われて、何のことだと訊いてみたら、グループ会社がシャフトを作っているので、間違っても△□のセットなんか持って来ないようにという指示でした。ゴルフをやるかどうかは尋ねられることすらありませんでした。

 毎回、総務部長に参加の有無を通知しなければならなかったのですが、休日には天気が良ければ船のニス塗りをしなければならないので、「雨が降ったら行きますね」などと言って断っていました。いつも不思議そうな顔をされました。

 この会社ではゴルフをやらないというのはかなり時流に遅れた人物とみなされるようで、部長ならコースに出るのが当然のようでした。

 私はゴルフの経験がないわけではありません。海上自衛隊で連絡官として米国に駐在していた頃、基地内にゴルフコースがあり、No.1は私の官舎から歩いて3分かからないところにありました。毎週水曜日の3時頃からチーム対抗のコンペで9ホールを回り、そのままオフィサーズクラブのハッピーアワーになだれ込むというのが日課で、2年間にわたりほぼ1週間に1度9ホールを回っていたことになります。

 しかし、結局、ゴルフの何が面白いのかよくわからず、帰国してからは行かなくなりました。貴重な休日に山の中を穴を掘って歩いているより、ハーバーで船の整備をしていた方が楽しいし、お金もかかりません。

 もともと日本は海軍国であったり海運国であった歴史はありますが、海洋国家であった歴史を持ちません。職業的に船に乗っている船員や漁業関係者を除いて、海に積極的に出る人がほとんどいないのがこの国です。

 私たちは海や船をほとんど知りません。よほどの理由がない限り海に出ることもありません。海に対する私たち日本人の無関心さはびっくりするほどです。東シナ海の地図を見せて、尖閣諸島の位置を正確に指さした日本人に会ったことがありません。

 私たちには基本的に潮気というものがありません。アメリカ大陸と太平洋で隔てられているという発想をする国民性です。海で繋がっているという発想がありません。英国人は七つの海によって大英帝国を作ったと思っていますが、私たちは四方を海に囲まれているので守られていると思い込んでいるのです。

 日本を取り囲んでいる海が過酷で、かつ、私たちの体質がアングロサクソンのように動物的にタフで強靭なものではなく、極めて植物的で繊細であり、この自然に立ち向かうのに大きなハンディになっているということなどが大きいかと考えます。

 私たちは海が好きなのではなく、本当は海が嫌いなのではないでしょうか。

 行くこともなく、知りもしないものがなぜ好きと言えるのか、そこが理解に苦しむところなのです。

 こんなことを言うようになったということは、私自身の潮気も失せ果てつつある証拠かもしれませんが。