万歳の正しい行い方

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 私は公務員生活を30年ほど経験しています。海上自衛官でした。海の上にいることもありましたが、不幸なことに東京の防衛省での役人暮らしが多かったように思います。

 中央にいると、他省庁の役人と業務調整をすることがよくあります。各省庁ごとにいろいろなカラーがあって面白いのですが、それもそれぞれの省庁が背負っている歴史によるところが大きいようです。

 

 防衛省などは戦後にできた役所ですので、あまり古いものは引き摺っていないのですが、財務省や外務省、あるいは当時の運輸省などの役人と話していると面白いことがあります。

 「この根拠は何ですか?」と訊くと、「太政官布告第○○号です。」などと答えが返ってくることがあって、慣れるまではびっくりしていました。

 

 宮内庁などは2000年くらいの歴史を引き摺っていますので、内部ではもっととんでもない会話が飛び交っているのではないかと推測しています。

 

 国の法律や規則などは、改正されたり廃止されたりしなければそのまま効力を持ち続けるので、現在も生きている太政官布告があるのです。

 

 例えば、日本の国旗は、平成11年に「国旗及び国歌に関する法律」が施行されるまでは、明治3年に太政官布告として定められた商船規則に商船に掲げる旗として規定されていたのが日章旗を国旗とする根拠でした。

 平成11年まで、太政官布告を根拠として日章旗を国旗としていたのです。

 

 私たち日本人は、何かお目出度いことがあったり、誰かを激励したりする際に「万歳」をよく行います。日常では何気なく誰かが音頭を取って万歳三唱をしていますが、実はこの万歳のやり方については規則があるのをご存知でしょうか。

 

 明治12年4月1日、太政官布告第168号の「萬歳三唱令」及び「萬歳三唱令の細部実施要領」によって、万歳のやり方が規定されています。

 

 次のとおりです。

 

萬歳三唱令.施行明治十二年四月一日

太政宮布告第百六十八号-

 

第一条

 萬歳三唱は大日本帝国及ぴ帝国臣民の天壌無窮の発展を祈念し発声するものとす。

第二条

 発声にあたってはその音頭をとる者は気力充実態度厳正を心掛けるべし、また唱和する者は全員その心を一にして声高らかに唱和するものとす。

第三条

 唱和要領の細部については捌に定む

 朕萬歳三唱令を裁可し之を公布せしむ 此布告は明治十二年四月一臼より施行すへきことを命す

 

萬歳三唱令の細部案施要領

一 萬歳三喝の実施にあたっての基本姿勢は直立不動の姿勢なり この際両手を真っ直く 下方に伸はし体側にしっかり替けるものとす

二 万歳の発声とともに右足を半歩踏み出し同時に両腕を垂直に高々と挙げるべし この際両手指が真っ直ぐに伸びかつ両掌を正しく内側に向けておくことが肝要なり

三 万歳の発声終了と同時に素早く元の不動の姿勢に涙るへし

四 .以上の動作を両三度繰り返して行うへし いすれの動作をとるにあたっても節度を持しかつ気迫を込めて行うことか肝要なり

 

 要するに、いい加減に両手を上げて「バンザ~ィ」などとやるのではなく、直立不動の姿勢から右足を半歩踏み出し、両手の平を内側に向けて耳の横で真上に真っ直ぐ伸ばし、全員が心を一つにして声高く「万歳」を唱和するという動作を節度と気迫を持って3回繰り返すというものです。

 

 これを読まれた皆様は、今後、いい加減な気持ちで万歳三唱など出来なくなるはずです。三唱をする際には、この太政官布告を思い出して、心してご発声をお願いいたします。何せ、国が定めた規則があるのですから。

 

 かつて、幹部候補生学校を卒業して任官し、3年ほど初任幹部としていろいろな船に乗組んで様々な経験を積んだ後、初めて海上幕僚監部のスタッフとして東京に着任して夜遅くまで勤務していた頃、先輩のスタッフから「オイ若いの、候補生学校でしっかりと万歳のやり方を習ってきたか?」と言われ、この太政官布告について教えられました。

 

 それまでの艦隊勤務とは全く異なる役人の仕事をさせられて戸惑うことばかりだった私は、この太政官布告を見て、国の官僚機構というのはほんとにとんでもない組織だなぁと感心したのを覚えています。

 

 騙されていたと知ったのは、数年後、2回目の海幕勤務を命ぜられて東京へ戻った時でした。さすがにお役所仕事にも慣れ、どうもこの太政官布告の胡散臭さが気になっていました。施行日と布告番号はあるのに布告日の記載がないのが変だなと思ったのと、各省庁の役人も知っているにもかかわらず、その文言が微妙に異なるのが気になったのです。

 

 海幕勤務では月曜日に出勤して金曜日に帰宅するというような勤務が別に珍しくないのですが、ある夜、例によって夜遅くオフィスで仕事をしていて一段落がついた時、思いついたことがあって、この太政官布告を調べ始めました。どうせ終電に間に合わないので、その日も泊まるつもりでいたのでしょう。

 そこで分かったのは、この太政官布告は存在しないということでした。

 

 どこの省の誰が作ったのか分かりませんが、このころ霞が関を中心とした官庁街で出回っていた怪文書らしく、法令データベースに登録されていないのです。

 

 中央官庁の役人は深夜まで勤務していることが珍しくありません。国会で大臣が議会における質問に答弁するための資料を作らなければならず、質問する議員が趣意書を前日までに国会に送付してくるのですが、これが前日の夜11時などということが珍しくなく、それから担当省庁に振り分けられ、各省で調整しながら答弁資料を作るので、どうしても深夜になるのです。昼間は会議やかかってくる電話が多くて、まとまった作業をしようとすると夜にならざるを得ないという事情もあります。

 多分、そのような勤務をしていたどこかの省の役人が、忙中に閑を見つけて、茶目っ気を出して書き上げたものかと推測されます。

 しかし、役人らしいもっともらしい書かれ方がされており、かなり頭のいい奴が書いたんだろうなぁと感心したりしていました。明治のお役所の文書の特徴が凝縮したような書きぶりだからです。

 

 皆様も、役職やお立場によって宴会などで「万歳のご発声をお願いします。」などと頼まれることがあるかと思います。その際に、この「万歳三唱令」について解説してから万歳を行うと、結構面白い「万歳三唱」になります。本当に信じ込んでお帰りになる方もいらっしゃるので可笑しくて仕方ありません。罪のない嘘なので、目くじら立てて怒られることもなく、私は大抵ほったらかしにしておきますので、いまだに信じている方もいらっしゃるかと思います。

 

 騙されたと知った私はどうしたでしょうか?

 当然のことながら、その頃、最初の艦隊勤務を卒業して海幕勤務を命ぜられて着任してきた後輩にしっかりと教えてやりました。

 

 「オイ新人、候補生学校でちゃんと万歳のやり方は習ってきたんだろうな?」

 

 「受けた教えはしっかりと後輩に申し継ぐ」 これが伝統を大切にする組織のやり方です。