カレーは金曜日

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 今日は金曜日です。

 海上自衛隊で30年間過ごした私にとっては金曜日というと想い出すことがあります。

 昼食がカレーライスでした。

 

 海上自衛隊では1週間に一度カレーがメニューに上っていることは有名になりました。

 横須賀では海軍カレーをメニューに入れているレストランも多く、海上自衛隊の基地の売店に行くと、各艦ごとのカレーのレトルトパックが売られていて、マニアの方が買いあさっているのを見かけます。

 

 たしかに海上自衛隊の給食では金曜日の昼食にカレーライスを出している部隊が圧倒的に多いようです。

 

 理由はいろいろとあります。

 週休2日になる前は土曜日の昼食がカレーライスでした。

 その頃の土曜日は昼食後上陸が許可され、当直員しかいなくなるため、週末の食数が少なくなります。

 土曜日の昼食そのものも、上陸して食べたい乗員もいるので、どのくらいの食数が出るのかよく分かりません。

 そのような状況の中で、月曜日に食料品の搭載などを予定していると、それまでに倉庫や冷蔵庫をなるべく空けておきたいと担当者は考えます。

 そういう時にカレーライスというのは便利なメニューなのです。

 残っていた食材をすべて入れてしまい、ステーキなどのように一人1枚などと数える必要もなく、かつ、食後の食器洗浄もプレート一枚なのですぐに終わり、食器洗いの当番に当たっている者も早く上陸できます。

 そこで私が入隊した頃は土曜日の昼食がカレーライスでした。

 

 週休二日になるとそれが金曜日の昼食に出されるようになり、カレーが出てくるともうすぐウィークエンドになるぞという気持ちになったものです。

 

 航海中もカレーライスは人気メニューなので週一回出しても誰も文句を言わず、また、金曜日の昼に習慣化されると、長い航海中で曜日感覚がなくなっていても、出港してからの日数を思い出し、あと何回食べると戻れるかに思いをいたすことができます。

 

 海上自衛隊のカレーライスは帝国海軍からの伝統メニューであり、年季の入り方が違いますので、どの部隊に行ってもそれなりに美味しいカレーライスを食べることができます。

 それに慣れていると、陸上自衛隊の駐屯地で出されるカレーライスにはスプーンが伸びていきません。

 

 海上自衛隊の船などでつくられるカレーは、一般のレストランや家庭に比べると不利な条件で作られています。

 煮込み料理ですので、時間をかけて煮込むほど美味しくなるのですが、規則により、昼食に出す料理は朝食を出した後でなければ準備にかかることができないのです。

 私などが単身赴任先やキャンプなどでビーフシチューやカレーライスを作る時は、前の晩に一度作って、一晩寝かせておくことが多いのですが、それができないのです。

 

 そのかわり、歴代の調理員たちは工夫に工夫を重ねていかに美味いカレーライスを作るかでしのぎを削ってきました。

 かつてカレーのCMで「リンゴとハチミツ、トローリ溶けてる。」というのがありましたが、そんな生易しいものではなく、様々な工夫をしていたようです。

 初めて乗組んだ船の調理室を覗いたら、調理員がインスタントコーヒーを瓶1本全部を鍋に放り込んでいるのを見て度肝を抜かれたことがありました。そんなことは常識的に行われてきたようです。

 煮込む時間が少ないので、コクを出す工夫なのだそうです。是非ご家庭でもお試しください。

 

 カレーライスはどこが作っても同じ味と言うことにはなりません。船ごとに味が全く異なってきます。

 8隻の護衛艦で編成された部隊の司令部幕僚として勤務していた時、私はよく各艦の艦長にお願いして金曜日の昼食を御馳走になりに行っていました。

 それは艦長はじめ士官室の幹部と話をして部隊の実情を知るためでもあり、また、各艦の調理員の腕前を自分で確かめるためでもありました。

 出航してしまうと楽しみの少ない艦隊勤務において食事と言うのは士気を高く保つためにも重要なので、司令部幕僚としては押さえておくべきポイントだと考えていたのです。

 

 8隻の船がいると8通りの味があります。乗員に人気のある調理員長と人気のない調理員長の違いがはっきり分かるのです。

 

 若い隊員たちは金曜日の昼食を楽しみにしています。

 食べ終わって午後ちょっと頑張ればという週末モードでもあるのでしょう、

 

 海上自衛隊の多くの学校でも昼食にはカレーライスが供されます。

 私が候補生の頃は土曜日の昼食でしたが、思い切りお腹一杯食べた直後、指導官から誰かが何かの不具合を指摘され、連帯責任ということでグランドを何周も走らされてひどい目にあったことを覚えています。

 

 教育部隊の指揮官を務めたこともありますが、週休二日になってからは金曜日の昼食にカレーライスが供されるのが教官泣かせのようでした。

 学生の食堂を見に行くと、信じられないくらいの富士山のような山盛りのご飯にカレーをたっぷりとかけ、それをお代わりして食べるような学生がたくさんおり、その連中が午後の教務の時間に寝てしまうのだそうです。

 私は、学生は一週間、徹底的に追い回され、きつい訓練を受けてきてやっと金曜日になり、好物のカレーを思い切り食べたのだから、居眠りくらいは大目に見てやれと教官を指導していたのですが、限られた時数で沢山のことを教え込まなければならない教官たちにとっては大変なことだったと思います。

 ちなみに海上自衛隊は学生の居眠りには比較的寛大で、私が候補生の頃も、候補生が徹底した規律の中で追い回され、凄まじい訓練を受けていることを知っている教官たちは、自分の教務で学生が居眠りをするのは、自分の教育技量の未熟さの現れであるとして、居眠りしている学生には優しかったように思います。

 居眠りをしていても最後に試験に出すポイントは教えてくれる教官がほとんどでした。

 多分、自分の候補生時代を思い出したりしていたのでしょう。

 

 最近はカレーライスを食べる機会も随分少なくなりました。

 それでも金曜日の昼時になると、世界中の海の上や、江田島の候補生学校の学生食堂などでカレーを食べているんだろうなぁと懐かしく想い出したりします。

 

 

日本人は海が嫌い?

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 海が好きですとおっしゃる方はとてもたくさんいらっしゃいます。

 どういう意味でお好きなのか、人それぞれで違うでしょうが、海の何が好きなのかなと思うことがよくあります。

 なぜかというと、私自身が「海が好き」とはなかなか言えないからです。

 船に乗る職業を選んだのは、船に乗りたかったからですが、「海が好き」だったのかどうかというと確信を持てません。その船も楽しくて仕方ない勤務だったかというと、よくあんな勤務に耐えてきたなと思うほど厳しいものでした。出港の前の晩などは、明日からの航海に胸を躍らせているなどということはほとんどなく、オカの快適な生活への未練がたっぷりでした 

 ヨットは好きですが、これも常に楽しくて仕方ないかというと、実はきついなと思うことの方が多いのです。夏は暑いし、冬は寒いし、時化れば気持ち悪くなるし、もっと時化ると恐ろしいし、本当に快適でご機嫌に乗っていた時などほとんどなかったように思います。

 心から「海が好き」と言えると本当にいいなとよく思ったものでした。

 ジョセフ・コンラッドが書いた“The Mirror of the Sea”という随筆集があります。

 コンラッドが船に乗っていたころの仲間たちや船と海への想いが綴られた素晴らしい随筆集です。翻訳も出版されていますので、是非皆様にも読んで頂きたいのですが、この随筆においてコンラッドは海の厳しさを延々と語っています。しかし、それがかえってコンラッドの海と船に対する限りない懐かしさ、愛情を表現しているように思えます。彼にとっても、海はただ美しく快適なものではなく、厳しく畏れるべきものだったのでしょう。

 いろいろな方と海の話をするのですが、東京湾フェリーや瀬戸内海のフェリーなどに乗った経験がある人は多いのですが、一晩を超す日数の航海を経験したことのある人はびっくりするくらい少数です。つまり洋上で夜を過ごしたことのある人はとても少ないということです。

 それではヨットやサーフィンで海に親しんでいる人がどれほどいるかというと、ゴルフに比べれば絶滅危惧種に近いほど少数です。

 商社の営業部長だったころ、各部長以上が参加するゴルフが二か月に一度程度行われていました。部長に着任してすぐ、隣の部の部長から、「クラブは○○のものでなけりゃだめですよ。」と言われて、何のことだと訊いてみたら、グループ会社がシャフトを作っているので、間違っても△□のセットなんか持って来ないようにという指示でした。ゴルフをやるかどうかは尋ねられることすらありませんでした。

 毎回、総務部長に参加の有無を通知しなければならなかったのですが、休日には天気が良ければ船のニス塗りをしなければならないので、「雨が降ったら行きますね」などと言って断っていました。いつも不思議そうな顔をされました。

 この会社ではゴルフをやらないというのはかなり時流に遅れた人物とみなされるようで、部長ならコースに出るのが当然のようでした。

 私はゴルフの経験がないわけではありません。海上自衛隊で連絡官として米国に駐在していた頃、基地内にゴルフコースがあり、No.1は私の官舎から歩いて3分かからないところにありました。毎週水曜日の3時頃からチーム対抗のコンペで9ホールを回り、そのままオフィサーズクラブのハッピーアワーになだれ込むというのが日課で、2年間にわたりほぼ1週間に1度9ホールを回っていたことになります。

 しかし、結局、ゴルフの何が面白いのかよくわからず、帰国してからは行かなくなりました。貴重な休日に山の中を穴を掘って歩いているより、ハーバーで船の整備をしていた方が楽しいし、お金もかかりません。

 もともと日本は海軍国であったり海運国であった歴史はありますが、海洋国家であった歴史を持ちません。職業的に船に乗っている船員や漁業関係者を除いて、海に積極的に出る人がほとんどいないのがこの国です。

 私たちは海や船をほとんど知りません。よほどの理由がない限り海に出ることもありません。海に対する私たち日本人の無関心さはびっくりするほどです。東シナ海の地図を見せて、尖閣諸島の位置を正確に指さした日本人に会ったことがありません。

 私たちには基本的に潮気というものがありません。アメリカ大陸と太平洋で隔てられているという発想をする国民性です。海で繋がっているという発想がありません。英国人は七つの海によって大英帝国を作ったと思っていますが、私たちは四方を海に囲まれているので守られていると思い込んでいるのです。

 日本を取り囲んでいる海が過酷で、かつ、私たちの体質がアングロサクソンのように動物的にタフで強靭なものではなく、極めて植物的で繊細であり、この自然に立ち向かうのに大きなハンディになっているということなどが大きいかと考えます。

 私たちは海が好きなのではなく、本当は海が嫌いなのではないでしょうか。

 行くこともなく、知りもしないものがなぜ好きと言えるのか、そこが理解に苦しむところなのです。

 こんなことを言うようになったということは、私自身の潮気も失せ果てつつある証拠かもしれませんが。

万歳の正しい行い方

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 私は公務員生活を30年ほど経験しています。海上自衛官でした。海の上にいることもありましたが、不幸なことに東京の防衛省での役人暮らしが多かったように思います。

 中央にいると、他省庁の役人と業務調整をすることがよくあります。各省庁ごとにいろいろなカラーがあって面白いのですが、それもそれぞれの省庁が背負っている歴史によるところが大きいようです。

 

 防衛省などは戦後にできた役所ですので、あまり古いものは引き摺っていないのですが、財務省や外務省、あるいは当時の運輸省などの役人と話していると面白いことがあります。

 「この根拠は何ですか?」と訊くと、「太政官布告第○○号です。」などと答えが返ってくることがあって、慣れるまではびっくりしていました。

 

 宮内庁などは2000年くらいの歴史を引き摺っていますので、内部ではもっととんでもない会話が飛び交っているのではないかと推測しています。

 

 国の法律や規則などは、改正されたり廃止されたりしなければそのまま効力を持ち続けるので、現在も生きている太政官布告があるのです。

 

 例えば、日本の国旗は、平成11年に「国旗及び国歌に関する法律」が施行されるまでは、明治3年に太政官布告として定められた商船規則に商船に掲げる旗として規定されていたのが日章旗を国旗とする根拠でした。

 平成11年まで、太政官布告を根拠として日章旗を国旗としていたのです。

 

 私たち日本人は、何かお目出度いことがあったり、誰かを激励したりする際に「万歳」をよく行います。日常では何気なく誰かが音頭を取って万歳三唱をしていますが、実はこの万歳のやり方については規則があるのをご存知でしょうか。

 

 明治12年4月1日、太政官布告第168号の「萬歳三唱令」及び「萬歳三唱令の細部実施要領」によって、万歳のやり方が規定されています。

 

 次のとおりです。

 

萬歳三唱令.施行明治十二年四月一日

太政宮布告第百六十八号-

 

第一条

 萬歳三唱は大日本帝国及ぴ帝国臣民の天壌無窮の発展を祈念し発声するものとす。

第二条

 発声にあたってはその音頭をとる者は気力充実態度厳正を心掛けるべし、また唱和する者は全員その心を一にして声高らかに唱和するものとす。

第三条

 唱和要領の細部については捌に定む

 朕萬歳三唱令を裁可し之を公布せしむ 此布告は明治十二年四月一臼より施行すへきことを命す

 

萬歳三唱令の細部案施要領

一 萬歳三喝の実施にあたっての基本姿勢は直立不動の姿勢なり この際両手を真っ直く 下方に伸はし体側にしっかり替けるものとす

二 万歳の発声とともに右足を半歩踏み出し同時に両腕を垂直に高々と挙げるべし この際両手指が真っ直ぐに伸びかつ両掌を正しく内側に向けておくことが肝要なり

三 万歳の発声終了と同時に素早く元の不動の姿勢に涙るへし

四 .以上の動作を両三度繰り返して行うへし いすれの動作をとるにあたっても節度を持しかつ気迫を込めて行うことか肝要なり

 

 要するに、いい加減に両手を上げて「バンザ~ィ」などとやるのではなく、直立不動の姿勢から右足を半歩踏み出し、両手の平を内側に向けて耳の横で真上に真っ直ぐ伸ばし、全員が心を一つにして声高く「万歳」を唱和するという動作を節度と気迫を持って3回繰り返すというものです。

 

 これを読まれた皆様は、今後、いい加減な気持ちで万歳三唱など出来なくなるはずです。三唱をする際には、この太政官布告を思い出して、心してご発声をお願いいたします。何せ、国が定めた規則があるのですから。

 

 かつて、幹部候補生学校を卒業して任官し、3年ほど初任幹部としていろいろな船に乗組んで様々な経験を積んだ後、初めて海上幕僚監部のスタッフとして東京に着任して夜遅くまで勤務していた頃、先輩のスタッフから「オイ若いの、候補生学校でしっかりと万歳のやり方を習ってきたか?」と言われ、この太政官布告について教えられました。

 

 それまでの艦隊勤務とは全く異なる役人の仕事をさせられて戸惑うことばかりだった私は、この太政官布告を見て、国の官僚機構というのはほんとにとんでもない組織だなぁと感心したのを覚えています。

 

 騙されていたと知ったのは、数年後、2回目の海幕勤務を命ぜられて東京へ戻った時でした。さすがにお役所仕事にも慣れ、どうもこの太政官布告の胡散臭さが気になっていました。施行日と布告番号はあるのに布告日の記載がないのが変だなと思ったのと、各省庁の役人も知っているにもかかわらず、その文言が微妙に異なるのが気になったのです。

 

 海幕勤務では月曜日に出勤して金曜日に帰宅するというような勤務が別に珍しくないのですが、ある夜、例によって夜遅くオフィスで仕事をしていて一段落がついた時、思いついたことがあって、この太政官布告を調べ始めました。どうせ終電に間に合わないので、その日も泊まるつもりでいたのでしょう。

 そこで分かったのは、この太政官布告は存在しないということでした。

 

 どこの省の誰が作ったのか分かりませんが、このころ霞が関を中心とした官庁街で出回っていた怪文書らしく、法令データベースに登録されていないのです。

 

 中央官庁の役人は深夜まで勤務していることが珍しくありません。国会で大臣が議会における質問に答弁するための資料を作らなければならず、質問する議員が趣意書を前日までに国会に送付してくるのですが、これが前日の夜11時などということが珍しくなく、それから担当省庁に振り分けられ、各省で調整しながら答弁資料を作るので、どうしても深夜になるのです。昼間は会議やかかってくる電話が多くて、まとまった作業をしようとすると夜にならざるを得ないという事情もあります。

 多分、そのような勤務をしていたどこかの省の役人が、忙中に閑を見つけて、茶目っ気を出して書き上げたものかと推測されます。

 しかし、役人らしいもっともらしい書かれ方がされており、かなり頭のいい奴が書いたんだろうなぁと感心したりしていました。明治のお役所の文書の特徴が凝縮したような書きぶりだからです。

 

 皆様も、役職やお立場によって宴会などで「万歳のご発声をお願いします。」などと頼まれることがあるかと思います。その際に、この「万歳三唱令」について解説してから万歳を行うと、結構面白い「万歳三唱」になります。本当に信じ込んでお帰りになる方もいらっしゃるので可笑しくて仕方ありません。罪のない嘘なので、目くじら立てて怒られることもなく、私は大抵ほったらかしにしておきますので、いまだに信じている方もいらっしゃるかと思います。

 

 騙されたと知った私はどうしたでしょうか?

 当然のことながら、その頃、最初の艦隊勤務を卒業して海幕勤務を命ぜられて着任してきた後輩にしっかりと教えてやりました。

 

 「オイ新人、候補生学校でちゃんと万歳のやり方は習ってきたんだろうな?」

 

 「受けた教えはしっかりと後輩に申し継ぐ」 これが伝統を大切にする組織のやり方です。

アフタヌーンティ

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 このブログはタイトルが「コーヒーで始まり、ドライマティニで締めくくる心豊かな一日」となっていますが、私は紅茶を飲まないわけではありません。

 というよりも、紅茶をよく飲みます。

 

 朝一番で起き抜けに飲むのはコーヒーですが、朝食時に飲んでいるのは紅茶であり、外出の際、昼食時にアイスティーを注文することもよくあります。

 

 ヨットで外洋を走っている時、寒い夜間の当直時に飲む熱い紅茶というのも捨てがたいものがあります。

 

 コーヒーについては、若い頃に船で世界一周の航海をした際にもよく飲んでいたので、世界中でコーヒーを飲んだと言っても嘘ではありませんが、紅茶も世界中で飲んできました。船の士官室のコーヒーが、いつも煮詰まっておそろしく不味いものだったので、淹れたての時には飲んでいましたが、そうでないときには自分で紅茶を煎れて飲んでいたのです。

 

 寄港地でもよく飲みました。忘れられない紅茶が三杯あります。

 一杯はどこで飲んだか内緒ですが、イギリスのポーツマス入港中に訪れたある場所です。先方の名誉を守るため、インターネット上で公表は控えさせて頂きます。

 どうしても知りたい方は、直接お目にかかった時に教えて差し上げます。

 

 もう一杯もポーツマスでしたが、これは英国海軍の航空救難隊の基地でした。

 希望して見学に行ったのが、雨の降る寒い日で、基地に到着したところ搭乗員待機室に通され、そこで出てきたのが紅茶でした。

 目の前にある達磨ストーブの上に載せられたやたら大きなブリキの薬缶に、無造作に大きなティーバッグが投げ込まれてグラグラと煮られ、しばらく経ったところを、ちょっと縁の欠けたこれも大きなマグカップにドブドブと注がれ、間髪を入れずに、昔の牛乳の一合瓶のような容器からミルクが注ぎ込まれ、「ホイッ」という感じで手渡されたのです。

 外の寒さに参っていた私の喉を焼けるように熱いミルクティーが通っていったあの感覚をいまだに忘れることができません。

 

 もう一杯は、スリランカに入港した時のことです。この地のゴール・フェイス・ホテルは首都コロンボの海に面した植民地時代の名残を十分に残した立派なホテルですが、このホテルの中庭のオープンカフェで飲んだ紅茶です。

 さすがに本場の紅茶というのはこういうものかと思うものではありましたが、むしろ同期生と私の二人が制服を着ていたので、ただの新米海軍士官であるにもかかわらず、凄まじいもてなしをされてうろたえた想い出の方が強い紅茶です。

 

 とにかく、いろいろなところで、いろいろな紅茶を飲みましたが、一昨年、もう一つの想い出ができました。

 

 3年前までカリフォルニアにある米国法人の取締役として勤務しておりましたが、帰国が決まったある日、連休を利用して家内と二人でバンクーバーに出かけました。

 私たちが住んでいたのは南カリフォルニアでしたので、サンディエゴからバンクーバーまで飛行機で飛び、空港でレンタカーを借りてバンクーバー市街へ向かいました。

 翌日、今度は車をフェリーに載せ、ビクトリアへ上陸し、フェアモント・エンプレス・ホテルにチェックインしました。

 

 このホテルはビクトリアのインナーハーバーを見渡せる由緒あるホテルで、古き良き英国の風情を味わうことができます。

 このホテル内にある特別なロビーでアフタヌーンティーが供されており、私たちのお目当てはこれでした。

 

 多分、ドレスコードが煩いだろうなと思ったので、予約する際に聞いてみたのですが、上着を着てこいというだけで、特に面倒なものではありませんでした。しかし、よく考えると紅茶を飲むのに上着がいるというのも大変なことです。

 

 中庭を見渡すことのできるテーブルに案内され、黒いジャケットに蝶ネクタイをした年配のウェイターが三段重ねのティースタンドに載せられた軽食とティーカップ、ポットを持ってきてくれ、紅茶について丁寧に説明をしてくれます。

 どんな質問にも、丁寧に答えてくれるのですが、ハイティーだのイレブンシスだのと言われているうちに混乱してきて、よくわからなくなります。

 

 軽食は、イギリス流のキュウリのサンドイッチ、スコーン、小さなケーキ、カットフルーツなどです。

 英国式なので、滋味を期待するしかなく、素朴さを楽しむつもりで行かないとがっかりするかもしれませんが、私は意外にこれが嫌いではありません。

 庭などもフランス式のシンメトリックな圧倒的な人工美を誇るものよりもイングリッシュガーデンの方が性に合っています。

 いずれにせよ、びっくりするほど美味しいというものでもありませんが、雰囲気だけは抜群の紅茶です。

 もっとも私がこれまでに経験した紅茶の中では最も高額な紅茶だったことも間違いなく、たしか一人60ドルくらいチャージされていたと思います。チップ代だけでも、日本のホテルのカフェで紅茶を飲めそうな金額でした。

 

 日本国内にもアフタヌーンティを楽しませてくれる店が沢山あるようです。私の地元、鎌倉にも何軒かあるようですので、順番に行ってみようかと思っています。

 

 そのうちにこのメールマガジンのサブタイトルが「コーヒーで始まり、合間に紅茶を楽しみ、ドライマティニで締めくくる・・」というものに変わっているかもしれません。皆様ご注意ください。

 

  

『海の想い出』

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 このブログでは海や船を取り上げることが多いのにお気付きかと思います。

 この理由は私の趣味の狭さ、カバーできる分野の狭さによるものであり、若い頃にもっと幅広い教養を身に付けておけばよかったと忸怩たる思いをしています。

 

 今回のタイトルは「海の想い出」ではなく、『海の想い出』です。

 つまり、私個人の想い出ではなく、そのような題のついた本の話です。

 

 ジョセフ・コンラッドという作家がいます。

 記録によると1857年にポーランドで生まれたイギリス人の作家で、1924年に没していますが、17歳から25年間を船乗りとして暮らしていました。

 それはちょうど世界の商船が帆船から蒸気船に移っていく時代であり、彼は帆船乗りとして暮らしていました。

 

 コンラッドというと『青春』や『台風』などの中編小説を思い出す方が多いかと思いますが、私は彼の” Mirror of the Sea “という随筆が好きで、学生時代から繰り返し繰り返し読んできました。

 

 最初は神田の古本屋街で偶然見つけたのですが、元々保存状況の良くない100円均一状態で売られていたものだったので、連絡官として米国に駐在していた時、近くの書店で売っているのを見つけて買い直しておきました。

 

 彼が船乗りとして出会った人々見てきた光景、体験してきた数々の出来事を思い出しながら綴ったこの随筆は、船乗りでなければ書けない臨場感に溢れています。

 

 全体を通して語られているのは、単に「海は素晴らしい」とか「海はいいぞ」ということではなく、海への畏れ、圧倒的な自然への畏怖、厳しかった生活を振り返った時に感ずる懐かしさであり、海がどれだけ厳しい世界であるのかが随所に語られています。

 

 この感覚はプロの船乗りだけではなく、ヨット乗りにも理解できます。

 

 ヨットに乗っていて、本当に快適で楽しいと感じている時間と言うのは、相対的には恐ろしいほど少ないものです。

 

 大抵は寒いか暑いかで、揺れると気持ちが悪くなりますし、風が無いベタ凪はイライラし、と言って風がビュンビュン吹いてくると、この先どこまで時化てくるのだろうと不安になります。

 夕方、辺りがだんだん暗くなってくると心細くなってきますし、夜、天気が良くて引き波に夜光虫でも光れば別ですが、雨が降ったりすると、遠くに街の灯でも見えようものなら、何故俺はこんなところにいるのだろう、と出航してきたことを後悔したりするのです。

 この海に対する感情をコンラッドは“Odi et amo” という言葉で表しています。

  

 これは古代ローマの詩人の一節から採った言葉だそうで、「吾、憎み、かつ愛す」という意味だそうです。

 

 ヨット乗りならこの言葉の意味が痛いほどよく分かると思います。

 

 海を舞台にした小説なら『白鯨』が屈指でしょうが、随筆となるとこの” Mirror of the Sea” を凌ぐものを知りません。

 

 船乗りならこの随筆を読んで懐かしさを感じるでしょうし、船に乗ったことの無い方なら、「船乗りの世界」というのはこういう世界なのかと理解頂ける随筆です。

 

  翻訳が文庫で出版されており、そのタイトルが『海の想い出』です。

 

 私は当メールマガジンで英語の問題を時々取り上げています。

 海の英語は分かりにくいので英語の専門家ですら誤訳をすることがあることを時々お伝えしているのですが、正直なところ、この『海の想い出』というタイトルは気に入りません。

 タイトルが気に入らないので、中身も読んだことがありません。

 どうせまた船乗りの英語を理解しない誤訳があちらこちらに出てくるのではないかと危惧しているからです。

 

 原題が “ Memory of the Sea “ならばともかく、 “ Mirror of the Sea “ なのです。

 

 英語の "mirror“には「鏡」という意味と同時に「ありのままに映し出すもの」というニュアンスがあります。

 文学者なら、その意味を訳すべきではないかと思っています。

 『海の想い出』ではあまりにも陳腐です。

 せっかくコンラッドが” mirror “という単語を使った意味が生かされていません。

 

 ではどう訳すのがいいかと言われると、私は文学者ではないので困ってしまうのですが、少なくとも『想い出』にはしないだろうと思います。

 

 直訳の『海の鏡』の方がまだいいように思っています。

 

 少なくともコンラッドが描きたかったのは「ありのままの海」なのですから。

 

三宅由佳莉さんが歌う「我は海の子」

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 最近、珍しい動画を発見しました。

 海上自衛隊の歌姫三宅由佳莉さんが「我は海の子」というお馴染みの小学唱歌の7番を歌っているのです。

 しかもいつもの彼女とは異なる厳しい顔で歌っています。

 

 この動画を観て、いろいろなことを思い出しました。

 私は小さい頃から海に親しんできました。

 学生時代はヨットに明け暮れ、大学院に進学したのも、そのまま就職するとヨットを続けられないからです。

 大学院に進んでみて、学者になる頭ではないなとすぐに分かったので、今度は職業的に船に乗れる仕事を探し、海上自衛隊に入隊したのですが、意に反してなかなか船に乗せてもらえず、市ヶ谷の防衛省での役人暮らしばかりさせられ、うんざりしていました。

 その反動だと思いますが、退官した後は自分の海洋調査船を作るべく、一生懸命に働いています。

 

 ということで、海に関わり始めて半世紀以上が経っています。

 小さい頃から海をテーマにした歌をよく歌っていました。

 好きだったのは「海」という曲です。

 このタイトルの小学唱歌は二曲あり、「松原遠く消ゆるところ」というのも「海」ですが、私が好きなのは、簡単な方の「海は広いな大きいな」という曲です。

 「行ってみたいな他所の国」というのが夢になり、そのまま海上自衛官になってしまったと言っても間違いではありません。

 

 同じく「海」をテーマした曲では加山雄三さんの「海・その愛」などは海上自衛官でもカラオケで歌っている者がたくさんいます。夜、艦橋で航海指揮官として勤務していると、一緒に当直している当直員が皆無口なのに気が付きます。やはり同じような想いに浸っているのでしょう。

 

 「海はいいぞー」 

 

 ここで、本日のテーマ「我は海の子」に戻ります。

 戦前は小学唱歌として親しまれていたそうです。

 作詞・作曲者とも不明なのだそうですが、格調の高い文語体の歌詞で書かれていますので小学生には若干分かりにくかったかもしれません。

 

 この歌の一番、二番は私も小学生の頃には歌わされた記憶があります。

 息子に確認すると今は歌われていないようです。

 「松原遠く」と歌う「海」も歌われず、「海は広いな大きいな」の方の「海」は歌われているようですので、要するに文語体の歌詞の曲は歌われていないということでしょう。

 

 この「我は海の子」という歌は、意外に知られていないのですが、本当はすごい歌なのです。

 歌詞をご紹介します。

 

 一、

 我は海の子白浪の、さわぐいそべの松原に

 煙たなびくとまやこそ、我がなつかしき住家なれ。

 

 二、 

 生まれてしほに浴して、浪を子守の歌と聞き

 千里寄せくる海の氣を吸ひてわらべとなりにけり。

 

 三、

 高く鼻つくいその香に不斷の花のかをりあり。

 なぎさの松に吹く風をいみじき樂と我は聞く。

 

 この辺まではまだ穏やかな歌詞ですね。

 

 四、

 丈餘のろかい操りて、行手定めぬ浪まくら

 百尋千尋海の底、遊びなれたる庭廣し。

 

 五、

 幾年こゝにきたへたる、鐵より堅きかひなあり。

 吹く鹽風に黑みたる、はだは赤銅さながらに。

 

 だんだん壮大な雰囲気が漂ってきます。

 

 六、

 浪にたゞよふ氷山も、來らば來れ恐れんや。

 海まき上ぐるたつまきも起らば起れ驚かじ。

 

 かなり勇ましい歌になってきました。

 

 圧巻なのは最後の七番です。

 

 七、

 いで大船を乘出して、我は拾はん海の富。

 いで軍艦に乘組みて、我は護らん海の國。

 

 そうか、愛国少年を鼓舞する歌だったんだぁ。

 

 この7番があるためか、学校でフルコーラスを歌うことはなく、私は2番までしか聴いたことがありませんでした。

 海上自衛官は皆七番まであることを知っています。

 

 三宅由佳莉さんは、普段はにこやかかつエレガントに歌を披露していますが、この曲の7番を歌う時だけは、顔つきが全く違って、極めて厳しくなっています。

 その動画をご紹介します。

 https://www.youtube.com/watch?v=eR9AmI-Lrh8 

 

 彼女は、単なる歌姫として歌っているのではなく、海上自衛官として歌っているのでしょう。

 彼女たち音楽隊員も一般隊員同様の入隊教育を受け、射撃も匍匐前進も遠泳も経験していますし、日常でも警備訓練などでは戦闘服に身を包み、小銃を持って警戒に当たったりしているのです。

 

 この『我は海の子』を7番までフルコーラスを堂々と歌うのは海上自衛隊だけかもしれませんね。

 

(写真:防衛省撮影)

 

時間短縮

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 世の中がせわしなくなる一方のような気がします。

 映画やテレビのドラマなどを見ていても、明治時代の人ですら、今の我々よりはるかにゆっくりとした会話をしており、平安時代の貴族にいたっては、これで国を統治するという仕事ができていたのかどうか本当に不思議なくらい長閑な会話のテンポです。

 

 歴史の専門家に聞いたのですが、「朝廷」という言葉は、午前中しか仕事をしなかったから生まれたのだそうです。

 一般に貴族は夜が明ける頃に出勤してきて、午前中だけ仕事をして、後は寝ていたり、歌を詠んだりして暮らしていたのだそうです。

 これは栄養状態がそれほどよくなく、朝から晩まで仕事を続けるということができなかったことなどが関係するとのことだそうです。

 そういえば、日本人が一日三食を食べるようになったのは戦国時代以降だそうですから、平安時代などは午後はお腹が空いて何もやる気にならなかったのでしょうね。

 そのお陰で、文化的なものは華やかに開花したのかもしれません。

 

 それに比べると現代のせわしないことといったら、日に日にその速度を増していきます。私が学生時代、洋書を注文すると2か月かかるのが普通でした。今は1週間くらいで手に入ります。10年ほど前までは「アスクル」など言って商売になっていたのが、今はAmazonで朝注文したものが夕方に届くこともあります。

 

 人が話す言葉もやたらと早く、短くなり、とにかく略語が使われます。

 

 マクドナルドをマックというのは、もともとマック・ドナルドだった綴りの前半だけ読んでいるのでまだ分かるのですが、ミスタードーナッツミスドナショナルジオグラフィックナショジオとするのは品が無いようにも思えますし、そもそもそんなに急がなくてもいいようにも思います。

 品性を疑いたくなる略し方もあります。女性のキャビンアテンダントはかつてスチュワーデスと呼ばれていましたが、これを「スッチー」と呼んだのは作家で元長野県知事田中康夫氏ですが、この人の政治的信条はともかくとして品性を疑ってしまいます。

 乗客の快適なフライトと緊急時の安全のために彼女たちが果たさなければならない役割や受けなければならない訓練の厳しさを理解しているのかどうか知りませんが、その職業に対する敬意のひとかけらも感じられない略し方ですね。

 

 現代人は何をそんなに急いでいるのだろうかと考えることがよくあります。

 

 しかし、時間が短くなって本当にありがたいと思っていることが一つあります。

 散髪です。

 学生時代、長髪だったのであまり散髪には行きませんでしたが、海上自衛隊に入隊し、幹部候補生学校に入った日に、隊内の散髪屋に送り込まれ、バリカンだけで3分間で候補生カットにされて以来、散髪の時間は5分以内となりました。そして少なくとも2週間に1回は散髪に行かなければならなくなりました。

 

 任官してからは少し長めの髪になりましたが、それでも制帽を被るので横や後ろは刈り上げにする必要があり、散髪にはよく行っていました。

 

 ただ、私はこの散髪の時間が苦痛で仕方ないのです。1時間近く身動きできず、目の前の鏡で自分の顔を眺めながら、つまらないラジオやテレビを聞いていなければならないのが苦痛なのです。

 

 ところが、この数年、10分ほどで散髪をしてくれる店があちらこちらにできました。

 本当に髪を切るだけで、髭を剃ってくれるわけでもなく、髪を洗ってくれるわけでもありませんが、とにかく早くやってくれるのです。

 元々私は髭が濃い方ではないので、プロに剃ってもらわなくても構いませんし、丁寧に分けて整髪料を付けてもらっても、ジョギングに行ったりすればすぐに乱れてしまうので、意味がないと思っていました。

 

 今は、ウォーキングを兼ねて出かけ、サッサと髪を切ってもらい、また歩いて帰ってきてシャワーを浴びてお終いにしていますが、とても快適です。

 時間が短いから雑なカットなのかといえばそうでもなく、確かに整髪料を使った丁寧な調髪ではないので、いかにも散髪に行ってきましたという感じにはならないのですが、私にはそちらの方が自然で好ましく思われます。

 値段も1000円ちょっとで安くていいのですが、料金よりも時間がかからず、予約の必要もないのが気に入っています。

 

 どこのお店も大体10分でやってくれるのですが、最近5分しかかからないお店を発見しました。

 12ミリのバリカンで横と後ろを刈り上げて、前髪はそれに合わせて適当に切って、と頼むと5分で終わってしまうのです。

 これは40年近く前の候補生時代に次ぐ記録的早さです。

 

 さらに前回は3分で終わったので、チップを渡そうかと思ったほどです。

 世の中全部がスピードアップされてせわしなくなったとは思いますが、散髪だけは早くなって素直に喜んでいます。

 よく考えるとかなり勝手な発想だとは思っています。