One for all , all for one
何年か前のことですが、ある方と話をしていてちょっと気になることがありました。
その方はある上場企業の取締役を経験された方ですが、彼が初任管理職の時代から部長になるまでの間、部下を指導する基本方針として “All for one, One for all” という標語を掲げたとおっしゃるのです。
その方は東京大学ラグビー部出身で、ずっとその精神でやってきたとおっしゃるのです。
私にもラグビーの経験はありますが、私たちは “ One for all , all for one “ というフレーズで育てられてきました。
実は、この語順が変わると文脈の意味が変わってしまうのです。
この元取締役は「皆は一人のために、一人は皆のために」という精神を大切にしてきたと仰るのですが、ラグビーの” One for all, all for one “ は「一人は皆のために、全ては勝利のために」という意味を持ちます。
これはアレクサンドル・デュマ原作の『三銃士』の中で、アトス、ポルトス、アラミスそしてダルタニャンが剣を合わせて誓う言葉として有名になったものと言われています。
つまり、One for all のOneは「一人」の個人を指しますが、All for one のoneは「勝利」を指しているのです。
これをもって「一人は皆のために、皆は一人のために」というのを誤訳だという方もいらっしゃいますが、必ずしもそうではありません。
デュマの『三銃士』の方はどう読んでも「一人は皆のために、皆は勝利のために」という意味になりますが、この” One for all, all for one “ が最初に語られたのは『三銃士』ではありません。
かつて必要があってスイスの歴史を調べていたことがあるのですが、その際に、スイスの伝統的な価値として大切にされている言葉として“Unus pro omnibus, omnes pro uno”という言葉があるということを知りました。
これはラテン語ですが、スイスはこれをスイスの4つの公用語で掲げているそうです。必ずしも法律や憲法に規定されているものではないのだそうですが、スイスではあらゆる政党がこれに異議を唱えていないということでした。
私はラテン語が分からないのでドイツ語を見ると“Einer für alle, alle für einen”とあります。まさに“ One for all , all for one” そのものです。
これは1868年10月にスイスアルプスの広範囲に洪水をもたらした嵐の際、当局がこのスローガンのもとに連邦となってまだ間もなかったスイス国民に挙国一致を呼びかけ、それが新聞に掲載されて寄付のキャンペーンが行われたことに端を発しています。
このスローガンは明らかに「一人は皆のために、皆は一人のために」を示しています。
さらに歴史を遡ると1618年にボヘミアで行われたカトリックとプロテスタントの指導者の集まりにおいて、プロテスタントの指導者が読み上げた決意の中に、カトリックによる迫害に対して「一人は皆のために、皆は一人のためにとの気概を以て確固と立ち上がった」という一文があるのだそうです。
つまり、「一人は皆のために、皆は一人のために」という訳も決して間違っているわけではなく、ただラガーの合言葉の” One for all, all for one “ は『三銃士』と同様、「一人は皆のために、全ては勝利のために」を意味しているというだけのことなのです。
ちなみに、映画では「我らは銃士、結束は固い。」と訳されていたように記憶します。
ここで件の元取締役がなぜラグビーから得た訓えだとして“All for one, One for all” という逆順の言葉を持ち出し、そしてそれをあえて「皆は一人のために、一人は皆のために」という精神だとしておられるのかという疑問が私には残ります。
この方が東大のラグビー部出身であるということはラグビーにおいては“All for one, One for all” ではなく、” One for all, all for one “ であり、しかもその意味が「一人は皆のために、全ては勝利のために」であることをよくご存じのはずなのです。
勘違いということは考えられません。ラグビー部員は嫌というほどこの言葉を聞かされて育てられるのです。
何か意味があるはずです。
お話を伺っている間中、何かヒントが無いかと考えていたのですが、最後までよく分かりませんでした。
そのうちに先方から「私の話で何か気が付いたことはありませんか?」といきなり聞かれたのです。どうも私が疑問を抱いていることを見透かされたようです。
そこで素直に“All for one, One for all” というのはどういう意味合いを持つのかを考えていましたとお答えすると、その元取締役はニコリとされ、「やはり気付かれたんですね」とおっしゃり、理由を説明してくれました。
彼がまず All for one を先に出したのは、とにかくチームワークを優先して欲しいという思いからなのだそうです。One for all が先に出てくると自己犠牲の精神が先に立ってしまう、そうではなくて皆がそれぞれお互いを思い合う連帯感の強いチームを作って欲しいという意味なのだそうです。
そのようなチームはメンバーの幸福感を高める、会社に来るのが楽しくなる、仕事を楽しんでできると信じているということなのだそうです。
たとえ業績が上らなくても、自分の部下たちが毎日楽しく出勤して来て活き活きと働いてくれればいい、それで業績が上らないのは自分の指導が至らないからだという覚悟なのだそうです。
これは私が常々思っていたこととまったく同じ発想だったので本当に驚きました。
この元取締役はその後子会社の社長として赴任し、それまで雰囲気が暗く、社員の不祥事が続いて業績が悪化していた会社を見事に再建されました。
その再建された会社のある日のエピソードを私は昨年上梓した拙著の一番最後に載せています。
活気のある素晴らしい会社です。
” One for all, all for one “ というフレーズはいろいろなシチュエーションで引用されますが、この簡単な一言には様々な想いが込められており、また、それぞれの想いを込めることもできるのだということをご理解頂ければ幸いです。
『事業大躍進に挑む経営者のための「クライシスマネジメント」』セルバ出版