ワインの想い出

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 当コラムは「コーヒーで始まり、ドライマティーニで締めくくる心豊かな一日」というタイトルになっています。ただ、お断りしておきますが、私は酒に強いわけではありません。どちらかというと弱い方です。弱いくせに強い酒を好むのでたくさん飲めないのが残念ですが、お陰様で肝臓は大丈夫なようです。

 

 このコラムをお読みになったある方から、ワインは飲まないのかと尋ねられました。もちろん飲まないわけではありません。というより、毎日飲んでいます。

 昼食時に飲むことはほとんどありませんが、夕食を家で食べる時には必ずワインが出ています。

 毎日なので上等なワインは買えません。

 若い頃に海上自衛隊の連絡官として米国に駐在していた際、ホームパーティで大勢の方を招待する時は必ず大量のワインを用意しておく必要があり、そういう場合は高級なものでなくとも構わないのでボックスワインを買っておくと、ゲストが勝手にグラスを持って行って自分で入れてくれるのですが、その時に見つけたコストパフォーマンスが高いテーブルワインがあり、帰国後、日本でも売っているのを見つけて、それ以後、我が家のテーブルワインとなりました。もう25年以上飲み続けていることになります。

 

 普段、その安いテーブルワインばかり飲んでいるので、たまに誰かから頂いたり、外食でいいワインを取ったりするととても美味しく感じられる次第です。

 

 初めてワインが美味しいと思った時のことは今でも鮮やかに覚えています。

 大学生でヨットの外洋レースに熱中していた頃、乗っていた船ではワインがよく飲まれていましたが、それほど美味いとも思わずに飲んでいました。というよりも、レース中は我々学生クルーなどはガレー船の奴隷に等しいので、うっかりワインなどでいい気持になっていると後が大変なのです。

 

 それがある時、油壷(三浦半島の古くからヨットの泊地として利用されてきた、その名のごとく油を流したように波一つ絶たない静かな湾です。)に入港してきたアメリカ人のヨットの世話をするようになって事情がちょっと変わりました。

 退役した空軍中佐とその奥様二人で太平洋を巡航中に日本に寄港し、油壷にしばらく停泊していたのですが、同じく油壷で仲間の船の整備を手伝っていた私が、その夫妻の面倒を見ることになりました。

 整備に行くたびに声を掛け、近くのスーパーに車で買い物に行き、日用品や食料を買い込んでくるのを手伝うのです。

 当時、油壷周辺のスーパーではピクルスやライムなどが手に入らず、それらのものを私の家の近くで手に入れて持って行ったこともありました。

 

 ある時、他のクルーが来なくて仲間の船に入ることができず、その整備ができないことがあり、米人夫婦の船のニス塗りを手伝ったことがあります。

 その時、奥様が昼食だと言ってデッキに持ってきたのが、キャビンで焼いたばかりのパンと大きなチーズの固まり、そして壺に入ったワインでした。

 

 フランスからの移民の子孫である奥様の日常の簡単な食事なのだそうです。

 日本で言えば、ご飯と漬物とみそ汁の三点セットなのでしょう。

 平日の誰もいない静かな油壷湾の一番奥、大型のヨットのデッキ上で、初老のご夫妻と三人だけで取る昼食。

 ワインがこれほど美味いものとは知らなかったのですが、完璧な昼食でした。

 

 このご夫妻は2か月ほど日本に滞在し、シアトルへ戻るために出航していきました。

 油壷を出発する日、私たちは夕方まで伴走し、房総半島の沖合で手を振って別れました。

 別れ際、御馳走になった昼食のワインが今までで一番美味しいワインでした、と告げると、奥様が「私たちもよ。」と言って微笑み、元空軍中佐が大きく頷いた顔が夕陽に染まっていたのをつい昨日のように思い出すことがあります。