白旗を揚げる

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 いよいよ大学受験シーズンが佳境に入ってきました。

 なすべきことはやり、後は神頼みという受験生も多いかと思います。

 

 私の住む鎌倉には源氏縁の名勝が沢山あります。

 

 その数ある名勝の中に白旗神社という神社があります。

 源頼朝の屋敷の北にあり、奥の上の方には頼朝の墓があります。

 

 この神社が必勝祈願で有名なのは面白いことではあります。

 何せ「白旗」神社ですからね。「白幡」神社ではないのです。

 

 一方、藤沢市にも白旗神社がありますが、こちらは源義経が祀られています。

 

 多くの方は「白旗を掲げる」というと「降参」を思い浮かべられるかと思いますが、ここは若干説明させて頂く必要があるかもしれません。

 

 源氏の旗印は白旗だったのです。

 対する平家が赤旗を用いていたので対抗する勢力の図式の象徴が「紅白」となったのです。

 小学校の運動会が紅白戦だったり、NHKの大晦日の恒例行事が紅白歌合戦だったりする起源は源平の合戦にあったと言えるのです。

 

 戦国時代以前の武士には白旗を旗印として使う者は多かったと言われます。

 

 一方ヨーロッパではフランス海軍が軍艦旗として白旗を使っていました。

 オーギュスト・セルシーが描くフランス海軍の帆船は大きな白旗を艦尾に掲げていますが、これは降伏しているのではなく、戦闘旗を掲げているのです。

 また、フランス革命に際しては王党派が白旗を軍旗として掲げて戦っています。

 

 つまり、白旗には「降参」という意味は元々無かったのです。

 

 白旗の用い方が変わったのは1899年のハーグ陸戦協定以来です。

 この国際法上の戦闘法規では、交戦者の定義、宣戦の布告、戦闘員と非戦闘員の区別、捕虜の扱いなどが規定されましたが、その中で交戦者の一方が他方との交渉を行うために白旗を掲げてきたものを「軍使」と規定し、その軍使及び従属する旗手、通訳、ラッパ手などに対する不可侵権が認められました。

 

 もっとも軍使を差し向けられた他方の部隊指揮官はこれを必ずしも受け入れる必要はないとされ、軍使が敵情視察のためにその不可侵権を濫用する場合には一時抑留することも認められています。

 

 ともかく、この協定以降、白旗が掲げられると「話をしようじゃないか」という意味になるので、即「降伏」ということでもないのです。

 

 具体的には、両陣営の間の戦場に戦死者が放置されている場合や両軍の負傷者がいる場合に、一時休戦して収容に当たるなどの交渉が持たれることが度々あったようです。

 

 降伏の意思表示としては、白旗を掲げるだけでは不十分であり、武器を捨てていることを示す必要があります。

 両手を頭の上に挙げて武器を抱えていないことを示したり、軍艦であれば戦闘旗である軍艦旗を降ろし、艦砲を俯角に下げ、機関を停止することなどがそれにあたります。

 

 つまり、白旗神社で必勝祈願をすること自体には何の矛盾もなく、初めて武家政権を打ち立てた頼朝に肖ろうというのは間違いではないのかもしれません。

 

 私自身は自衛官の制服を着用していた頃も任務完遂を神頼みするつもりは全く無かったので神社に行くというようなことはありませんでしたが、これから受験に向かう方々には、白旗の意味を誤解せず、合格祈願に白旗神社へ行っても間違いではないことをご理解頂きたいと思います。

 

 受験生の皆様のご健闘を祈っています。悔いのない戦いをしてください。