グルメって何だろう? : おいしい料理の記憶

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 テレビや雑誌などにはグルメ情報が溢れています。

 必ずしも高級なレストランや料亭などばかりが取り上げられるのではなく、いわゆるB級グルメといわれる地方にユニークな料理も紹介されていますし、男の料理教室なるものも全国で人気です。

 

 巷には素人のグルメ評論家も溢れていて、みなさんそれぞれラーメンやカレーライスなどのおいしい店の情報を持っており、いったい年に何食それらを食べているのかと驚かされてしまいます。

 

 私は母方の祖父が禅宗の僧侶だった影響だと思いますが、食べるものについていちいちコメントすることを厳しく禁じられて育ちましたので、その手の議論が好きではなく、料理に関する評論めいたことを語るつもりも全くありません。

 

 特に何かにこだわっているということもなく、強いて言えば、手の込んだ料理より、単純な料理を好む傾向があります。

 素材の味そのものを楽しむような料理であまり飾らないものがどちらかといえば好きです。

 京懐石よりも握り寿司や蕎麦、フレンチよりもドイツの家庭料理と言えばおわかりいただけるかもしれません。

 レストランで食べる料理よりも野外のBBQの方が好きといえばもっとわかりやすいかもしれません。

 

 そんな私でも忘れられない味がいくつかあります。

 

 そのトップは、私が艇長として出場したヨットの外洋レースであるクルーが出してきたものです。

 

 その日、晩秋の低気圧のクシ団子のような天気を見て、あらかじめ荒天下のレースになることを予想し、料理ができないことも考慮して準備しておくようにクルーに伝えておきました。

 

 スタート後、案の定、大時化になり、とても料理どころではありません。

 昼食はあらかじめ作っておいたサンドイッチで済ませましたが、夕食は缶詰を切って、ビスケットをかじる程度しか出すことができない状況でした。

 真夜中、絶えずデッキ上を波が洗い、びしょ濡れで体の芯まで冷え切ってガタガタ震えながら船を走らせていると、最年少のクルーが意を決してキャビンに入り、何かを始めました。

 ビスケットくらいしかお腹に入っていないクルーたちは寒さと空腹できつい思いをしていましたが、しばらくするとその最年少クルーがキャビンから首を出し、カップを一つずつ出してきました。

 

 それはインスタントラーメンのスープだけをお湯で溶いた熱いスープでした。

 十数時間ぶりに喉を通った熱いスープ。歯の根が合わないくらいガタガタ震えていた冷え切った体にしみこんでいくその味をいまだに忘れることができません。

 船酔いで吐きながらも必死で作ってくれた一番若いクルーが、みんなの「うまいっ!」の声にニッコリしたのも印象的でした。

 

 もう一つの強烈な思い出もヨットがかかわっています。

 

 クルーのトレーニングで伊豆七島の島を回って帰ってくるクルージングをしていた真夏のある日のことです。

 朝早くから三宅島の近くでベタ凪につかまり、まったく動けないでいました。近くを数隻の漁船が通り過ぎて漁に出ていきました。

 

 昼過ぎ、まだ凪で動けず、エンジンをかけてしまってはトレーニングにならないので漂うままの状態でした。

 朝、傍を通り抜けていった漁船が帰ってきて、そのうちの一隻が近寄ってきて、「故障か?」と聞いてきました。

 故障ではないが、海の厳しさを新人クルーに教えるためにエンジンをかけずに風待ちをしている旨を告げると、その漁船の漁師がニッコリ笑って、それはいいことだと言い、獲りたての魚があるけど食べるかと聞いてきました。

 断る理由もないので「頂く」と答えると、うまいものを作ってやるということでその漁船と横抱きの形になりました。

 

 彼が作るのを見ていると、トビウオを徹底的に包丁で叩き、ショウガやニンニク、ネギなどを混ぜ、味噌で和えています。いわゆる「なめろう」のような料理です。

 そのドロドロとした液体を大量に作ると、今度は氷を徹底的に砕いてクラッシュアイスを作り始めました。

そしてそのドロドロの液体にクラッシュしたアイスを放り込み、炊いた米の上に大量にかけてくれました。

 新鮮なトビウオとショウガ、ニンニクの香り、味噌の絶妙な味加減、口の中でガリガリという氷の食感、真夏のカンカン照りの三宅島を遥か西方に望むベタ凪の海で、これまで食べてきた料理はいったい何だったんだと思わせる、息を飲むほどうまい漁師料理でした。

 

 作りながらその漁師が語ったところによると、彼が小さいころ、漁師だった彼の父親の船が行方不明になり、ちょうどレース中で近くにいた外洋レース艇の何隻かが漁協と海上保安庁の無線のやり取りを傍受して捜索に参加したのだそうです。

 幸い、父親の船は機関故障で漂流していたところを発見されました。

 彼の母親が、捜索に参加していたヨットにお礼をしようとしたのですが、彼らは発見の無線を聞いてそのままレースに戻ってしまい、お礼ができないままだったのだそうです。

 それ以来、彼の父親はヨットが困っていると必ず声をかけており、彼もそれを見て育ったのだそうです。

 

 ガツガツ食べる我々をニコニコしながら見ていたその若い漁師に、お礼として艇内に積んでいたウィスキーを渡しました。

 ジャックダニエルは名前は知っているが飲むのは初めてと相好を崩す彼と見えなくなるまで手を振りあって別れました。多分、私と同い年くらいの漁師でした。

 

 こういう食べ物体験を持っている私には、ミシュランのレストランガイドも巷のグルメ評論家の解説も何かピンくるものがありません。

 料理の味の良し悪しというのは、所詮相対的なものでしかなく絶対的な評価を下せるようなものではないというのが私の持論です。