8点鍾

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 「8点鍾」と聞くと、モーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンを思い出す方が多いかと思います。8つの短編をまとめると一つの物語となるという凝った構成で、各短編に出てくるトリックも極めて高く評価されています。

 

 私は海と船を描かせたら最高の画家だと思っているウィンスロー・ホーマーの「8点鍾」を思い浮かべます。二人の船乗りが大時化の海で六分儀を構えて天測をしているところを描いたものです。

 大時化の海で、僅かに覗いた太陽を測って経度を算出しているのでしょう。

 ブルックリン美術館にあるそうですので、一度見てみたいと思っています。

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 アリステア・マクリーン原作の「8点鍾が鳴る時」を思い出す方もいらっしゃるでしょう。

 寮生活をしていた高校生の頃、週末の夜、寮のベッドに寝転がってアリステア・マクリーンの冒険小説を読むのは大きな楽しみでした。

 

 では、この8点鍾とは何か、ということになります。

 船には時鍾と呼ばれる鐘が装備されています。

 

 この鐘は時鍾と呼ばれるくらいですから、船内に時間を知らせるために古くから用いられてきたものです。

 午前0時を起点として、30分ごとに決められた鳴らし方をしています。順番に1点鍾、2点鍾と鳴らしていき、4時間後に8点鍾を鳴らし、元に戻ります。

 点鍾は基本的には短音と長音の組み合わせで、短音は「カン」と聞こえ、長音は「カーン」と聞こえます。

 

 1点鍾は「カン」、2点鍾は「カン、カーン」、3点鍾は「カン、カーン、カン」、4点鍾は「カン、カーン、カン、カーン」という具合です。

 

 船では4時間で当直交代が行わるのが普通なので、8点鍾がなると当直交代なのです。

 したがって、8点鍾は04:00、08:00、12:00、16:00に鳴らされることになります。

 ところが、この後に面白いことが起こります。

 16:00に8点鍾が鳴らされ、16:30には1点鍾に戻るのですが、18:00に4点鍾が鳴って18:30に5点鍾が鳴るかと思うとそうではないのです。

 18:30分にはまた1点鍾に戻ってしまいます。そして19:00に2点鍾、19:30に3点鍾が鳴らされ、20:00に今度はいきなり8点鍾になるのです。

 

 何故この時間帯だけ不規則な鳴らし方をするのかが、船乗りの世界の面白いところです。

 夕方になって海坊主に襲われないように、機会を窺っている海坊主を騙すために間違った点鍾を聞かせるためだと言われています。

 

 クロノメーターと呼ばれる船用の正確な時計ができる遥か前、船内で時間を測るのは当直員の重要な役目の一つで、標準的に積まれていた30分の砂時計をひっくり返すたびに点鍾を鳴らしていたのです。

 

 船内に時計が取り付けられ、どこにいても時間が分かるようになってからは、この点鍾は時鍾としての役目はなくなりましたが、視界不良時に自船の位置を他船に知らせるために鳴らすということは現在も行われています。

 法定備品ですので、船は必ず積んでいなければなりません。

 

 現代ではレーダーが小さな釣り船にも装備されるようになり、点鍾が鳴らなくとも近くに船がいることは分かるのですが、それでも濃霧にまかれて何も見えないとき、霧のカーテンの向こうからかすかに点鍾が聞こえることがあります。

 

 小さなヨットで濃霧にまかれて何も見えないとき、とても心細い思いをします。この時に点鍾が聞こえてくると、近くに船がいるということなので、本当は衝突の危険があって安心してはいられないのですが、「向こうにも船乗りがいるなぁ」と何となくホッとするのが不思議です。

 こちらも負けずに点鍾を打ち、こちらにも船がいることを相手に知らせます。

 

 かつて、大型タンカーの船長を長く勤めた古い船乗りの告別式に参列したことがあります。

 出棺の際に商船学校の後輩たちがこの8点鍾を鳴らしたのがとても印象的でした。

 

 8点鍾が鳴ると当直を交代するのです。

 後輩たちが、後は自分たちに任せてくれと言っているのでしょう。

 

 伝統を大切にする船乗りらしい見送りだなぁと思いました。

ノースショア

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 Na Leoというコンテンポラリーハワイアンを代表する女性3人のボーカルグループがあります。

 Na Leoというのはハワイの言葉で「暖かいハーモニー」という意味なのだそうですが、デビューから30年以上経つ現在も、美しいハーモニーを聴かせてくれます。

 このグループの代表曲”North Shore Serenade”は日本でもお馴染みですが、とてもきれいなメロディラインの曲なのに、誰かがカバーして歌っているのを聴いたことがありません。

 米国ではよくカバーされており、私も初めてこの曲を聴いたのはパールハーバーの海軍基地のオフィサーズクラブで、無名のハワイアンバンドがカバーしていました。

 この曲を初めて聴いて以来、ノースショアというのがどのような所なのか気になっていました。

 ハワイは何度も訪れたことがありますが、よく考えると海上自衛隊にいた時に仕事で訪れた記憶ばかりで、しかも船で行ったことの方が多いことに気が付きました。

 つまり、パールハーバーに入港して、その海軍基地の中を動き回っていただけなので、オアフ島の観光名所などはかなり前に一度回っただけなのです。

 船でない場合にはワイキキにホテルを取りますが、朝食をホテルで取り、夕食に街に出るだけで日中はパールハーバーの基地内にいることが多く、街や名所をよく知らないのです。

 そこで一度はプライベートにハワイを訪れてみたいと思っていたのですが、海上自衛隊を退官して商社に再就職し、カリフォルニアにある会社の取締役への出向を終えて帰国するときにその機会ができました。

 日程の都合で長居ができなかったのですが、ノースショアだけは見ておこうと思っていたので、空港でレンタカーを借り、到着の翌日、その車で出かけました。

 元は航空会社勤務でハワイには何度も来ている家内もノースショアは初めてだということでした。

 ワイキキの喧騒を出て、西へしばらく走り、オアフ島の中央部から北へ向かう道に入ります。対向車もほとんど来ない山道が続き、しばらくすると反対側の海に出ます。

 海沿いの道は米国本土の田舎の道のようなのどかさで、ワイキキの賑わいがウソのようなローカルな雰囲気が漂っています。

 ところどころに民芸品を売っている店があったりはしますが、それほど多くはありません。地元の人が集まる古くて小さなレストランがいくつかあり、その中の一軒で朝食にしたのですが、ハワイを意識した特別なメニューでもなく、ごく一般的な朝食のメニューでした。

 つまり、観光客向けの沿道ではないのでしょう。しかし、ハワイに住むとしたらこの辺がいいなと思わせる居心地の良さがありました。

 もともと大都会での暮らしが好きではないので、日本でも山あり海ありの湘南がお気に入りで都会に住むつもりはないのですが、ハワイでもワイキキ近くの便利なところよりも、この北側の海辺が肌に合うようです。

 ノースショアには小さいローカルなヨットハーバーがあり、アメリカにしては小型のヨットばかりが係留されているのも好ましい雰囲気です。

 本当はこの海岸沿いの道を走り抜けるだけではなく、横にそれて山の中に入ると”North Shore Serenade”に謳われた素晴らしい景色を見ることが出来るのだと思いますが、それは次回の楽しみに取っておきます。

 このローカルな道をしばらく行き、島の北東端から南に下がってくると観光地としてお馴染みのポリネシアン文化センターなどが見えてきます。

 それから先はだんだんと賑やかになり、ワイキキに戻ってきます。

 このオアフ島の東側半分をぐるっと回ってくるドライブは半日あれば楽しめるコースですので、是非お試しください。

 オアフ島は中央部にはびっくりするほどの大自然があり、キャンプなどをしながら探索すると楽しいだろうなと思っています。

 ワイキキで食事をしてアラモアナで買い物をするだけがハワイ観光ではありません。

 ちなみに、この時訪れた際には、インターナショナル・マーケットプレイスが大改修の最中で入ることが出来ませんでした。

 今頃はもう再オープンしているかと思いますが、あの独特の雰囲気がどうなったのか、早く見に行きたいと思っています。

 

 お薦めの一曲 :ノースショア・セレナーデ

https://www.youtube.com/watch?v=cgKnSehg-r8

 

白旗を揚げる

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 いよいよ大学受験シーズンが佳境に入ってきました。

 なすべきことはやり、後は神頼みという受験生も多いかと思います。

 

 私の住む鎌倉には源氏縁の名勝が沢山あります。

 

 その数ある名勝の中に白旗神社という神社があります。

 源頼朝の屋敷の北にあり、奥の上の方には頼朝の墓があります。

 

 この神社が必勝祈願で有名なのは面白いことではあります。

 何せ「白旗」神社ですからね。「白幡」神社ではないのです。

 

 一方、藤沢市にも白旗神社がありますが、こちらは源義経が祀られています。

 

 多くの方は「白旗を掲げる」というと「降参」を思い浮かべられるかと思いますが、ここは若干説明させて頂く必要があるかもしれません。

 

 源氏の旗印は白旗だったのです。

 対する平家が赤旗を用いていたので対抗する勢力の図式の象徴が「紅白」となったのです。

 小学校の運動会が紅白戦だったり、NHKの大晦日の恒例行事が紅白歌合戦だったりする起源は源平の合戦にあったと言えるのです。

 

 戦国時代以前の武士には白旗を旗印として使う者は多かったと言われます。

 

 一方ヨーロッパではフランス海軍が軍艦旗として白旗を使っていました。

 オーギュスト・セルシーが描くフランス海軍の帆船は大きな白旗を艦尾に掲げていますが、これは降伏しているのではなく、戦闘旗を掲げているのです。

 また、フランス革命に際しては王党派が白旗を軍旗として掲げて戦っています。

 

 つまり、白旗には「降参」という意味は元々無かったのです。

 

 白旗の用い方が変わったのは1899年のハーグ陸戦協定以来です。

 この国際法上の戦闘法規では、交戦者の定義、宣戦の布告、戦闘員と非戦闘員の区別、捕虜の扱いなどが規定されましたが、その中で交戦者の一方が他方との交渉を行うために白旗を掲げてきたものを「軍使」と規定し、その軍使及び従属する旗手、通訳、ラッパ手などに対する不可侵権が認められました。

 

 もっとも軍使を差し向けられた他方の部隊指揮官はこれを必ずしも受け入れる必要はないとされ、軍使が敵情視察のためにその不可侵権を濫用する場合には一時抑留することも認められています。

 

 ともかく、この協定以降、白旗が掲げられると「話をしようじゃないか」という意味になるので、即「降伏」ということでもないのです。

 

 具体的には、両陣営の間の戦場に戦死者が放置されている場合や両軍の負傷者がいる場合に、一時休戦して収容に当たるなどの交渉が持たれることが度々あったようです。

 

 降伏の意思表示としては、白旗を掲げるだけでは不十分であり、武器を捨てていることを示す必要があります。

 両手を頭の上に挙げて武器を抱えていないことを示したり、軍艦であれば戦闘旗である軍艦旗を降ろし、艦砲を俯角に下げ、機関を停止することなどがそれにあたります。

 

 つまり、白旗神社で必勝祈願をすること自体には何の矛盾もなく、初めて武家政権を打ち立てた頼朝に肖ろうというのは間違いではないのかもしれません。

 

 私自身は自衛官の制服を着用していた頃も任務完遂を神頼みするつもりは全く無かったので神社に行くというようなことはありませんでしたが、これから受験に向かう方々には、白旗の意味を誤解せず、合格祈願に白旗神社へ行っても間違いではないことをご理解頂きたいと思います。

 

 受験生の皆様のご健闘を祈っています。悔いのない戦いをしてください。

世界中で飲んだコーヒー

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 このブログは「コーヒーで始まりドライマティニで締めくくる心豊かな一日」というタイトルでお送りしています。

 かつて船で世界中の海を航海し、一日に何杯もコーヒーを飲んできましたので、世界中でコーヒーを飲んできたと言ってもあながち嘘ではありません。

 太平洋、大西洋、地中海、インド洋の真ん中でコーヒーを飲むという経験は、船に乗っていた者の特権です。

 寄港地のハワイではコナコーヒーを楽しみ、ノルウェーオスロでは公園の片隅で売っていた紙コップのコーヒーが日本円で500円もするのにびっくりし(1980年代のことです。)、逆にポルトガルリスボンでは20円程度でびっくりしたりしました。

 地中海沿岸ではどこでもエスプレッソやトルココーヒーのように小さなカップでかなり濃いコーヒーが出され、しかし、トルコのイスタンブールでは砂糖をやたらと入れた甘い紅茶ばかり振舞われ、本場のトルココーヒーにありつくのに苦労しました。

 ヨットではよほど好天に恵まれないとコーヒーを淹れるということが難しいので、出港前にポットに入れておき、航海中は機会を見つけてポットのコーヒーを補充することになります。淹れたてを楽しむというのは滅多にできることではありません。

 それでも夏の夜、引き波に光る夜光虫を眺めながら飲むコーヒーや冬の空気が澄み切った夜の満天の星空を眺めながら飲むコーヒーは贅沢です。

 学生時代、日本橋丸善に参考書を買いによく行きました。大学院に進学してからは週に2回くらいは行っていたかもしれません。

 当時の丸善は古めかしく2階、3階の書籍売り場の床はリノリウム敷でした。2階にはカウンターだけのカフェがあり、サンドウィッチ程度の軽食は食べることが出来ました。

 コーヒーは大きなたらいのような鍋に湯を張って、白いホーローのポットに入ったコーヒーを湯煎にしたものを真っ白な何の変哲もないコーヒーカップに注いでくれるというものでした。

 お客の回転が速いので煮詰まったようなコーヒーが出てきた記憶はありませんが、結構濃いコーヒーだったように覚えています。

 このカフェには文壇の著名人や評論家などがよく立ち寄って、買ったばかりの本を読んでいることがあり、びっくりするような作家と隣同士になったこともあります。

 私は著名人でもカフェでのんびりコーヒーを楽しんでいる時くらいはそっとしておいて欲しいだろうと思い、声をかけたりすることはしないのですが、ある時、たまたま私が買って、そのカフェで読んでいた本の著者が現れ、私の後ろを通って隣に座り、ちらっと私の読んでいる本を見て「ホォ」と言ってニッコリされたのをよく覚えています。

 私はここの雰囲気が好きで、よく立ち寄ったものでした。

 現在も、外出すると時間調整のためカフェによく入ります。都内ではうっかり喫茶店に入るとタバコの煙でうんざりさせられることがあるのでスターバックスコーヒーがある時はそこに入ります。

 3年前まで住んでいたカリフォルニアでもスターバックスコーヒーにはよく入りました。というより、アメリカには喫茶店というのがないので、コーヒーを飲んでゆっくりしたいときには他に選択肢がないのです。

 米国のスターバックスコーヒーは日本のそれのように混んでおらず、席を探さなければならないということはほとんどありません。

 カナダにはもともとカフェがあるのですが、若い人にはスターバックスコーヒーが人気のようです。

 しかし、アメリカもカナダも日本のように中学生や高校生のグループが入ってきてテーブルを占領するということはなく、若くても大学生です。

 大きな本屋のフロアにはたいていスターバックスコーヒーがフロアの一角に入っています。

 英語を斜め読みできない私は、面白そうな本を見つけるとスターバックスコーヒーへ移動してコーヒーを飲みながら品定めをしてから買うことがよくありました。

 売っている雑誌を持ち込んで、全部読み終わって棚に返して買わずに出て行く豪の者もいます。

 私の地元、鎌倉には全国でもトップクラスの人気のスターバックスコーヒーの店があります。

 鎌倉駅西口から徒歩3分くらいにある御成店です。

 日中は観光客でスタンバイが出るほどですので、私が行くのは朝早くか夜ですが、広く落ち着いた店内やプールを眺めることのできるテラスの席などは気に入っています。

 しかし、スターバックスコーヒーのコーヒーが特に美味しいと思って飲んでいるわけではありません。スターバックスが出現するまでの米国のコーヒーは本当にまずいものばかりでしたが、日本には昔から喫茶店の文化が根付いており、美味しいコーヒーを淹れる店はあちらこちらにあります。

 これまでに数万カップのコーヒーを飲んできた経験から申し上げれば、一番美味しいコーヒーを飲めるのは実は自宅だと思っています。

 コーヒーは炒りたての豆を挽いたばかりであれば、よほどドジな淹れ方をしない限り美味しいものです。

 昔と違ってコーヒーの焙煎をする店はあちらこちらにありますので、炒りたて挽きたてのコーヒーを手に入れることはそう難しくはありません。

 なにより、どんな早朝であろうと深夜であろうと飲みたいと思ったときに淹れることができ、しかも、自分の好みの濃さを自分が一番よく知っており、使い慣れたカップで座りなれた椅子で、お気に入りの音楽を流しながら、本を読んだりDVDの映画を観たりと好きなことをしながら、隣の席を気にする必要もなく好みの種類のコーヒーを飲めるのですから、どう考えてもこれ以上美味しいコーヒーはないはずです。 

船乗りの言葉  Head

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 この記事のタイトルは“head”です。

 頭がどうかしたのか? と思われる方が多いかと思います。

 確かに通常は「頭」なのですが、船乗りが“head”というとき、ちょっと違う意味になります。

 

 多分、「船首」のことではないかと思われている方が多いかと思います。

 決して間違いではありません。

 

 帆船の船首に女神像が取り付けられていることがよくありますが、あれはフィギュアヘッドと呼ばれています。

 また、船首が指している方位をヘッディングとも呼びます。

 航空管制において管制官が航空機に針路の指示を出したりするときはコースとは言わず、”heading 010” (ヘッディング・ゼロ・ワン・ゼロ)などと指示するのが普通です。

 したがって、headが船首を示していると言っても誤りではありませんが、船乗りの感覚としては「前の方」という意味合いで使われることが多いようです。船首そのものを指す時に船乗りは“bow”(バウ)という言い方をするからです。

 

 それでは、船乗りはheadと言われると何と解釈するのでしょうか。

 

 「トイレ」です。

 

 船内にトイレの設備が設置されたのは、ポンプが発明された後です。

 それまでは船長など高級船員は桶のようなものを船室で使っていました。しかし一般の甲板員や軍艦の水兵などは外で用を足していました。

 

 帆船では船の後部は船長など高級船員の居住区や食堂になっていましたので一般船員は近付くことを許されておらず、船の一番前に張り板を出し、その板に穴をあけて、その穴を通じて用を足していたのです。

 

 実際に航海中の帆船の船首に立ってみると分かりますが、これは結構迫力のある光景です。

 ちょっと時化ていると出るものも出なくなりそうです。

 

 このことから、トイレのことをヘッドと呼ぶようになりました。

 

 船が港に入る際、ポートマスターに入港予定を告げて錨地の指定をしてもらう時、大抵は”Secure heads before entering port”と言ってきます。

 入港前に便所を使用止めにせよという指示です。

 汚物タンクを装備していない船ではトイレが使用禁止になります。

 

 日本では「便所」という言い方を避けて「お手洗い」などと表現したりします。

 英語でも同様で、toiletという直接的な表現を避けてbathroom という言い方をすることが多いようです。

 ちなみに restroom は公共の場にあるものを指すので、個人のお宅では違和感があります。

 

 私の経験だけで申し上げるので確かではないかもしれませんが、カナダ人は washroom という言い方をするようです。

 そして、英国人がもろに toilet というのを何回か聞いたことがあります。

 英国は地方や社会階級によって使う言葉が全く異なるので、果たして我々外国人が toilet と言っていいのかどうかよくわかりません。

 ご存知の方がいらっしゃれば、ご教示願いたいと思います。

 

 少なくとも船乗りは head でOKです。

 私が付き合う外国人は、海軍関係者やヨット乗りが多いので、その奥様方を含めて head という単語は問題なく通じます。

 

 ちなみに床を floor と言わずに deck と呼ぶのも船乗りです。

サドルバック

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 とっておきのお気に入りの店を紹介します。

 本当はあまり有名になっていつも満員で入れなくなると困るのですが、このブログを読んで頂いている方への御礼のための大サービスです。

 ちょっと事情があって東伊豆によく行きます。目的地があまり交通の便いいところではないので、車の運転が好きではない私にしては珍しく必ず車で出かけます。

 私の住む鎌倉からのルートは134号線、西湘バイパス、135号線とドライブコースとしては悪くありません。

 湘南から伊豆にかけての地理に詳しくない方のために解説すると、鎌倉から平塚にかけての海岸線を通って大磯から小田原までの自動車専用道路に入り、小田原から伊豆半島の東側に回り込む海岸沿いの道路です。

 この135号線の途中で根府川から真鶴の間を結ぶ山の中腹を走る道路に入ることが出来ます。

 休日などは伊豆へドライブに向かう車で135号線が渋滞することがありますが、この山の道はまず渋滞することはありません。

 この山の道の途中に、崖っぷちに建つ「サドルバック」というレストランがあります。

 それほど大きなレストランではありませんが、崖の上に建ち、相模湾を見下ろす絶景のレストランです。

 建物は南カリフォルニアやメキシコによくある家のような作りで、ドアを開けて入ると豚の置物が「ブーブー」と鳴いて迎えてくれます。

 内装は木で手作りの椅子とテーブルがいくつかおいてあり、BGMはいつも落ち着いたジャズボーカルが流れています。

 室内は特にどうと言うことはないのですが、凄いのはデッキのテーブルから眺める景色です。

 眼下に東海道線がトンネルから出てきて海岸沿いを走るのが見えます。

私は特に鉄道ファンではありませんが、ファンの方にとってはたまらない眺めかと思います。

 そして目の前に広がる相模湾の向こうに三浦半島が見え、空気の澄んだ日には房総半島も一望にできます。

 このレストランのオーナーが飼っている馬が崖下でのんびりと歩いているのを見かけることもあります。

 コーヒーを頼むと昔懐かしい喫茶店モカの香りの高いコーヒーが若干大きめのソーサーに載って出されてきます。そのソーサーに小さな角砂糖とミルクと敷地内で採ったと思われる一輪の花が添えられています。

 このデッキは風がよく通るので、真夏の酷暑の日でも涼しく、この店をよく知る人たちは天気のいい日は外のテーブルから埋めていきます。

 簡単な食事もできるのですが、運転が好きではなくすぐに飽きてしまう私にとっては、コーヒーブレイクを取るのにちょうどいい中間地点にあるこのレストランはお気に入りです。

 面白いことに、ここの閉店時間は日没時間となっています。東向きになっていることもあり、日没になると夕焼けも見えず、何も見えなくなるからだと思います。

 冬でもデッキは北風がブロックされているので暖かく、テラス席で海を遥か眼下に眺めながらコーヒーを飲むという最高の贅沢が味わえます。

 是非一度訪れてみてください。(船長から聞いたと言っても何も出てきません。念のため)

臨機応変の処置

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 私の住んでいる鎌倉には神社仏閣がたくさんありますが、キリスト教の教会や修道院、またミッション系の学校、病院なども意外にたくさんあります。

 

 私の家の近くにも教会があり、散歩する道沿いに修道院や学校が建っていて、シスターが歩いているのをよく見かけます。

 

 私は母方の祖父が曹洞宗の僧侶だったのですが、私自身はキリスト教の方に縁が深く、生まれたのはミッション系のシスターが看護師さんの病院でしたし、幼稚園もミッション系の幼稚園だったので、土曜日が休みで、日曜日の朝は幼稚園に礼拝に行くという生活でした。

 中学・高校はその頃は極めて珍しかった全寮制の学校で、ミッション系ではありませんでしたが、大学はローマカトリック教会が経営する大学であり、そのまま進学した大学院の指導教授は神父でした。

 

 大学院を修了して海上自衛隊に入隊し、幹部候補生の時に婚約したので、休暇の時に結婚の挨拶に指導教授のところに行ったら、あっさりと「僕が司祭をやってあげる。」と言われてしまい、家内は日本髪を結うことなくウェディングドレスを着ることになり、私も羽織袴ではなく礼装用の制服に身を包んだ結婚式となりました。

 

 曹洞宗の僧侶であった母方の祖父も、実は私の母校の大先輩で、カトリックの大学で何を勉強していたのかと言えば、インド哲学を勉強していたのだそうです。

 

 しかし、私にはどうも宗教というものをどうとらえていいのか、いい年をしてまだよくわかっておらず、迷いの道から抜け出すのには、まだまだ時間がかかりそうです。

 

 私たちが時々買い物に行く地元のスーパーマーケットの近くにも修道院があり、そこのシスターがそのスーパーマーケットで買い物をしているのを見かけることがあります。

 

 修道院の食生活がどのようなものなのかは知りませんが、想像するにかなり質素なものなのでしょう。何人分の食材を買っているのかわかりませんが、それほど大量の買い物をしているのを見たことがありません。

 微笑ましいのは、夕方、各商品の値引きが始まる頃に彼女たちが現れることで、しっかりと考え、世俗の仕組みを理解して行動しているなと思わされます。

 

 このスーパーマーケットの道路のはす向かいに駐車場が比較的ゆったりとした本屋があり、その駐車場とサーフショップを挟んで、細い道路が通っています。とても細い道路なのですが、バス通りに交差しているせいか、横断歩道があり、歩行者用の信号機も設置されています。

 私はこの細い道の横断歩道でも、信号が赤であると、まったく車が見当たらなくとも信号が変わるまで待つのですが、大方の人は、周りを見て、車がいないと平気で渡っていってしまいます。

 

 ある時、スーパーマーケットから出てきたシスターがこの横断歩道で赤信号になったところで一緒になりました。私は例によって車が来てもいないのに信号が変わるのを待っていたのですが、シスターが一度止まったのちに動き始めたので、「オヤッ」と思って見ていました。

 なんと彼女は、さすがに目の前の赤信号の横断歩道を渡ったのではなく、横断歩道から10メートルほど道沿いに横に歩いて行き、そこでヒョイと道を渡ったのです。

 たしかに横断歩道の信号を無視したわけではなく、むしろ横断歩道のないところを渡っているのですから、道路交通法上は保護されなければならない横断者になるわけです。

 神様もお許しになる行いなのでしょう。見ていて、思わず笑ってしまいました。

 

 臨機応変の措置というのは、こういうことを言うのではないかと、私自身の融通の利かない道の渡り方をちょっと考えなおしたりしました。

 

 (ただし、やはり安全とは言い難いので、このブログを読んでいる良い子の皆さんは近くに横断歩道がある時は、そこを渡りましょうね。)